お馴染みのアブラブログさん。
http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-128.html ★
バイロジックのうちの片割れ「対称性原理」は「うんこ」であって、勝手に短絡化や浄化を施して「信仰」してしまってはいけないよ、という記事なんだけど、全く同感だ。
現代日本のシャーマンであったとも言える岡本太郎の言葉を借りれば、対称性原理は「いやったらしい」、ということになる。
そして、生のまま(か、かなり生に近い状態)のバイロジックが意識上で成立してしまう俺もまた、いやったらしい存在である。他人から見ていやったらしいだけでなく、自分でもいやったらしい。
俺は芸術家ではないから、目に見える、耳に聞こえる芸術作品を残すことはないだろう。しかし、俺という人間、俺の生き様を芸術作品たらしめんとする欲望が、俺を支配している。
岡本太郎の言うように、「今日の芸術は、うまくあってはならない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない」。
うまく、きれいに、ここちよく生きることなんて絶対にさせてやるものか。貴様はどこまでもいやったらしく生きるのだ。
どうやらそういうことらしい。
★
脂さんが「死の欲動」について詳しく書いてくださった。
なるほど。よくわかった気がする。俺は、「生まれてきた子供の最初の怒り」みたいなものを、忘れてないってことなんだな。
そもそも俺は、契約書を読んで納得してサインして、この世に生まれてきたってわけじゃない。生まれてしまってから、「あれ? 俺、生まれちゃってる?」と気づく。
しかも生まれたからにはいつか死ぬことも決まっているだと? なんだその話は!
腹立たしい。納得がいかない。
これに納得できるようになるまでは、生きるに生きられん。しかも死んでも死に切れないじゃねぇかコノヤロー!
ところが、周りの大人を見渡してみると、皆その人なりに納得しているように見える。そうでもなければ、彼らが働いて給料をもらって生きていることが理解できない。
俺も納得したい、だから聞いてみる。どうやって納得したのか。
でもさ。その人ら、ただ忘れてるだけなんだよ。最初の怒りを。
俺は最初の怒りを思い出させてしまったことの罰を受ける。うるさい。黙れ。世の中そんなもんだ。皆どうにか折り合いつけてんだよ。
そんなもんだで納得できるなら、俺だって苦労してない。折り合いつけてるっていうのも嘘じゃん。忘れてるだけだろうが。
そう言えば、なおさらひどい罰を受けることになる。
最初の怒りを忘れてない俺は、
発達障害者なんだそうだ。発達の障害。いつまで経ってもガキだってことだ。
しかし俺から見れば、周りの人間は皆、ゾンビだ。ゾンビだらけ。俺が思う「生への欲動」を失って、それでも生きてるんだから、ゾンビに違いない。
ゾンビにガキと言われるのは、それはそれで腹立たしいね。貴様らこそ、人間ですらねえじゃねぇか。
それでもこの世の人間界は、ゾンビの手によって、成人=ゾンビ図式を前提として作られているわけだ。
そこに俺が参入できるはずもない。俺のような人は構造的に意地悪される。そのようにできている。
納得できないことは増える一方だ。
納得できず、納得するまでは生きるに生きられず死ぬに死ねないが、それが死ぬまで納得できないままだということはかろうじてわかった。そんなことばかりが、自分の中に溜まっていく。
暇だ。暇すぎる。死ぬまでの時間が暇だ。
しかし暇つぶしの方法も、ほとんどはゾンビに独占されてしまっている。
暇つぶしは楽しく、暇つぶしの方法を考えるのも楽しい。楽しいと、もっと暇がほしくなる。
しかし暇な時間を長くする方法も、ゾンビに独占されてしまっている。
ただただぼぉ〜っと見つめている。
俺が生まれる前から宇宙があった証拠もなく、俺がいるからこそ宇宙も存在できているのかもしれない。なのに、俺はその宇宙に関与できない。それで、ただただぼぉ〜っと見つめている。
タグ : 発達障害 アスペルガー症候群 アスペルガー 自閉症 自閉 高機能自閉症
基礎から勉強していかないと、ついていけないですね。
でも、ドードーとらさんのこの記事は、専門用語が少なくて、わかりやすかったですけどね。
以前、紹介させていただいた「哲学的な何か、あと科学的とか」にある哲学史のコーナーでみた、神話のはじまりのお話ですよね。(http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/saruTetuFrame.html)
【気がついたら、ここに自分が存在していた。なぜか?
腹が空くから食べ物を探して生き延びるが、最後には苦しみながら死んでいく。
なぜこんな苦しい目に合うのか?
この世界はいったい何なのか?死んだらどうなる?私はどこへ行く?】
もしも、違っていたらごめんなさいね。
この、哲学史のコーナーを読んでいると、ソクラテスが出てきた頃のギリシャやヘレニズム文化の頃なんて、今の日本に似ているような気がしました。
現代人の多くが、真実を探求することを避けている(面倒がっている)のは事実ですし、「世の中はそんなもんだろう」という暗黙の了解で済まそうとしているのも事実。
そんな人間から、「空気よみなさい」といわれることへの腹立ちはごもっともだと思います。
きっと脂さんとの有意義な会話からはずれたコメントをしてるんだろうと思うのですが、ドードーとらさんの記事をみて、私が感じたことです。
いやいや。それはど真ん中です。
> ソクラテスが出てきた頃のギリシャやヘレニズム文化の頃なんて、今の日本に似ているような気がしました。
というのも、哲学史に詳しい方がよく口にすることだったりします。
人類史という観点で言うと本当のところは、この数千年間を貫くテーマはすべて、既にそこで出されていた、という感じになるのかもしれません。
ソクラテスの弟子プラトンのイデア論やアカデメイア。これらもシャーマニズムの系譜に入ると俺は思っています。ブッダがやったことも同じですね。
この数千年、人類はこればっかりやってきてるんですよ。シャーマニズムを時代適合的に変形して復興させようとする動きと、それに覆いかぶさるようにして発展する近代的システムの動き。
ほんと。こればっかり。
本文に書き忘れたこと
自閉症・アスペルガー症候群は、社会性の障害だとか言われるけど、それ以前の問題がある。それに比べると、社会性の障害は派生的な問題にすぎない。
そのことは「器官のない身体(に近似した身体)」という考えを用いて説明可能だと思う。
自我は、自分が身体を持っていることを学習できる(し、普通はする)。しかし自閉症者の無意識は、自分が身体を持っているかどうかを気にしてない。
これこそが、自閉症者のインペアメントの核だ。
最終的な行動判断の権限は(正気であれば)自我の手にあるが、行動するためのエネルギー源は無意識が握っている。
「自分が身体を持った存在だ」という前提に立って判断し、行動しようとする自我。ところが無意識は、しばしばそれに「ノン」と答える。
身体を動かすためのエネルギーの供給をストップさせる。生命維持のための最低限度のエネルギーしか送ってくれなくなる。場合によってはもっと積極的に、痛みや症状を引き起こしにかかってくる。
自閉症者は心身症になりやすい。おそらくこういう仕組みだと思う。
言うまでもなく、身体を持つことに起因する葛藤は、誰にでもある。だからこそ、人に話しても理解されにくい。
ポイントは、無意識が「自分が身体を持った存在だ」ということをわきまえているかどうかだ。
無意識が自分が身体を持っているかどうかを気にしてないということは、到達不可能な「本当の現実」=「現実界」に接近できるということでもある。
これは才能になりうるが、キャッチした情報を言葉やイメージ、形にしなければならない。並の表現能力では難しい。
そして、表現できるようになると、感心してもらえたりもするが、大抵は気味悪がられるw
むずかしい・・・
自我と無意識がとくに・・・。
身体を自覚するというのは、感覚的な話ではないんですよね?
ちょっと時間をください。
はーい。ごゆっくり〜
ま、後でちょっと続き的な話を書いてみます。
コメントの投稿