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Author:【アリス】と【ドードーとら】
 
【アリス】 アリス
自閉症の世界の探検家。
2人の自閉症児・者の母。

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【おことわり】
このブログは2人の公開メール交換・公開交換日記ですので、
一般的なブログとは少し違った感じになっています。
コメント欄は2人の著者専用。
このように、明らかに違うこともあります。
ご覧いただく上で必要そうなことを トップページ に書いておきました。
人物一覧や、引用・リンクなどについても、そこにまとめてあります。

category-2:ドードーとらの日記 野生・文明・文化・野蛮

 不遇と言えば不遇だった大学〜大学院時代時代にも、俺によくしてくれた人はいた。
 その中の一人が同じ学科の先輩で、偶然にも同じ高校出身の先輩だった。研究室も一緒だった。住んでいる場所も近く、雪が降った日の登校には、彼の車に同乗させてもらったりもしていた。俺が研究室に行かなくなって一番つらかった頃も、たまに家に顔を見に来てくれたり。本当によく面倒を見てもらった。


 そんな彼が言ったことがあった。


 お前ってすげぇ野性的だもんな。野生的なセンスと自由な思考回路が武器ってタイプだろ?
 だけど他の生徒も先生方もさ、ほとんどの人はそうじゃないから。コツコツ勉強して、受験戦争を勝ち抜いて、いろんなものを犠牲にして今までやってきたし、今もそうしてやってる。これからもそうしてやっていくしかない。
 でもお前が研究に打ち込むってのは、お前にとっては自然なことで、それで犠牲になっているものなんて何一つないだろ? それがさ、彼らからするとうらやましい。お前は嫉妬の対象なんだよ。
 と同時に、違いがありすぎて、学生や研究者としての潜在能力は認めるけど、どう教育したらいいかはわからない。そういうことなんだと思うよ。


 正確じゃないが大体こういう感じのことを言った。
 なぐさめてくれてるようで、「お前に将来はない」と断言されているようでもあり、答えに困りつつぼけっと聞いていた。


 ただこの野性的って表現。それは少し引っかかった。何となくわかったようで何となくわからない。少なくとも、俺はいわゆる「ワイルドな男」ではない。
 でも、今ならわかる。


     ★


 今回のタイトルに挙げた野生・文明・文化・野蛮ってキーワード。前に「野生のままの無意識」みたいな言い方をしたが、アリスさんもよく理解できないっておっしゃってたから、簡単に解説しておこう。


 この用語は、フランスの文化人類学者・思想家で『野生の思考』などを著したクロード・レヴィ=ストロース…を踏まえて『カイエ・ソバージュ』(ソバージュ=野生の)を著した中沢新一…を踏まえて俺も使っている。


 例えばアイヌのような狩猟民の生活を想像してみるとよい。


 アイヌは熊を狩って食べる。熊は哺乳類で人間に近く、知能も高いし、殺せば断末魔の叫び声も上げるだろう。でも人間も食べずには生きられないから、とにかく狩って食べる。とにかく狩って食べるけど、熊を殺すのには心のどこかにどうしても抵抗が生じてしまう。
 そこには「人も熊も兄弟だ」というような思想がある。これが人の野生だ。


 一方で人は、狩りの技能を高めたり、性能のいい槍や弓矢を作ったり、罠や集団戦法を考えたりしなければならない。そうやって狩りの効率を上げる。獲物を仕留める確率を上げ、味方に死傷者が出る確率を下げる。
 そこでは「人と熊は別物だ」という思想がある。これが文明の基礎となる。


 人は野性だけでも文明だけでも生きられない。そこで野性と文明を媒介してつなぐ何かが必要となる。それを文化と言う。
 アイヌ文化にはイオマンテ(熊送り)という儀式がある。熊の骨に飾りを付け、命がけで人間に恵を与えてくれた熊に対し、その勇気を称え、感謝する。


 文明が進むと、人は文明に溺れ、野生を忘れ、文化を失うことがある。その状態を野蛮と言う。
 野蛮な人間は動物を家畜化しても何とも思わない。「人と熊は別物だ」というタイプの思想を徹底的に推し進めるだけだ。「人間にとって、自然は支配すべき対象である」だっけ? 西洋文明の基本思想だよね。それどころか「俺にとって、他人は支配すべき対象である」とか。どんどん進む。


 そこで、野生を忘れてない人や何かのきっかけで野生を取り戻した人は、文化の再構築を図ったりする。
 哲学者の森岡正博は『無痛文明論』の冒頭で述べている。人間ももはや家畜だ、と。こうやって、もう一度混ぜこぜにしてしまおうとするわけだ。


     ★


 自閉症は人の野生を象徴する。
 生まれつき(で育ちに依らない)器質的な原因のせいで、野生を忘れることができない。がゆえに、野蛮には馴染むことができない。自閉症者ってそういう人のことだ。


 逆に言うと、気を抜くとすぐに野蛮になっちゃうのが、定型者の障害ですよ。
 俺らが障害者だって言うなら、あんたらはもっと障害者だろ。ただあんたらが多数派だから、世の中あんたらの好きなようになってるけど。
 とか言って、もう一度混ぜこぜにしてしまおうとする俺って文化的…みたいなw


 野生・文明・文化・野蛮についてはこんなもんでいいでしょうか?


 


タグ : 発達障害 アスペルガー アスペルガー症候群 自閉症 自閉 高機能自閉症

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アリス アリス のコメント ◆◇◆ 2007/08/06 11:12 [ 編集 ] #mQop/nM.

 最近、古きよき文化がなくなりつつあるって、みんな言うけれど、こういうことなのかって、ドードーとらさんの記事を読んで思いました。

 確かに多数派の野蛮人は、ぴったりですね。
 文明に溺れ、エコとかいいながらも、自然を破壊し続ける・・・。
 そのうち、滅びるのではないかと、怖くなる時があります。

 学生時代の先輩って、ドードーとらさんにとってのチューター的存在になる可能性があった方なのですね。
 その先輩、大学の学生さんや先生達には、どのような話をされたのかな・・って気になりますね。
 
 「この人でいいか」と思える人が、増えて選べると、この野蛮人の世界も生き易くなるのかなぁ?

 ひとつ、聞いてもいいですか?
 この記事って、ドードーとらさんの主張にはなりませんか?

ドードーとら ドードーとら のコメント ◆◇◆ 2007/08/06 12:01 [ 編集 ] #p/8E93UU

> この記事って、ドードーとらさんの主張にはなりませんか?

 ん? アリスさん、何か俺の主張と言えるものを感じました?

アリス アリス のコメント ◆◇◆ 2007/08/06 14:21 [ 編集 ] #mQop/nM.

< 逆に言うと、気を抜くとすぐに野蛮になっちゃうのが、定型者の障害ですよ。
 俺らが障害者だって言うなら、あんたらはもっと障害者だろ。ただあんたらが多数派だから、世の中あんたらの好きなようになってるけど。
 とか言って、もう一度混ぜこぜにしてしまおうとする俺って文化的…みたいなw

このあたりが・・・。
私にとっては、主張と意見って似てるから、そのように感じるんだけど。

アリス アリス のコメント ◆◇◆ 2007/08/06 23:09 [ 編集 ] #mQop/nM.

どうやら・・・

またやってしまったようです。
意見と主張は違うようですね。
今、モアイに聞いてみたら、「わかってほしいと思う気持ちが強いのが主張で、わかってもらえなくてもかまわないのが意見」と言われました。
ごめんなさいね。

ドードーとら ドードーとら のコメント ◆◇◆ 2007/08/07 00:32 [ 編集 ] #p/8E93UU

 いやいや^^;

 あ〜、なるほど。そういうのが主張だと、あるいは主張が強いと受け取られるところなのかなって。それだけです。

 ただ、モアイさんがおっしゃることも俺にはピンと来なくてですね…。
 俺は主張だろうが意見だろうが、言う以上はわかってもらえるようにしたいです。主張と意見の違いなんてあるのかないのかよくわかりません。また、今の話に関係があるのかどうかも、よくわかりません。

 言葉の定義を借りてきてね、それを(途中を端折ってはいるけど)論理的に展開しているだけのことなのに、どうして「俺の主張」「俺の意見」と言われてしまうかがよくわからないのです。
 とは言え、俺が俺の責任において書いたものです。なので、「そういうことは書かないほうがいいんじゃないか」とか、「もっと違うふうに書いたほうがいいんじゃないか」とか、「(定義なり論理の組み立てなり)ここんとこ間違ってるよ」とか言われたときには、もちろん考え直します。
 でも「俺の主張」「俺の意見」かと言われると、首をひねりたくなります。まあ、そう言ってもかまわないんだけど、あなたが思ってる意味での「俺の主張」「俺の意見」ではたぶんないです、みたいな答え方になっちゃう。

 あ、そっか。モアイさんは、
●意見=述べたことについての責任が誰にあるかってことに力点がある。
●主張=本当に述べたがっているのは誰かってことに力点がある。
というようなことをおっしゃったのかなぁ。
 これらの言葉を使い分けてる人って俺はあまり見たことがありませんが、使い分けるとすれば確かにこうなりますかね…。いや、やっぱりよくわかんないです^^;

     ★

 ところでアリスさん。

> この記事って、ドードーとらさんの主張にはなりませんか?

って俺に聞いたでしょう? 

 これは、アリスさんがした質問。
 でも、ほら。前のとこのやり取りを見た人なら誰でも聞きたくなるようなことでしょ? これって。

 もしアリスさん自身が特別聞きたいと思っていたのではなかったとしても、話の流れ上聞くべきことをアリスさんは聞いたわけです。

 そうでなかったんだとする。アリスさんが自分の思いとして聞きたいと思って聞いたんだとする。
 だとするとね、誰でも聞きたくなるようなことは自分も聞きたいと思ってしまうような仕組みが、アリスさんの心の中に(そして誰の心の中にも)あるってことじゃないのかな。
 それは確かにあるはずで、それがないと「論理」とかって成立しないんです。でも「論理」は現に成立してるんだから、それはある。

 次にね、誰でも持ってる仕組みに対して、その人がどれだけオープンなのかっていう問題がある。
 こういうことを聞いたらバカだと思われるんじゃないかとか、こういうことを聞いたら立場を失うんじゃないかとか、そういう思いにかられることもありますよね。
 定型者の場合、こっち方が強いと逆向きの仕組みが働く。誰でも持ってる仕組みが自分の中にあって動いていること自体がわからなくなってしまう。自我を防衛する仕組みが働いてるってことです。多かれ少なかれ。

 俺みたいな人の場合、自我を防衛する仕組みが、そもそもないか、働きがものすごく貧弱。
 なので、「誰でもこう思うはずだ」って思念が浮かびまくり。でも俺以外のやつは全員特別に何も思ってないみたいだっていうんで、混乱しまくり。言ったらバカだと思われるんじゃないか、立場を失うんじゃないかって恐怖にはかられまくり。どうしていいかわからず怒りまくり。やむにやまれず思念や混乱や恐怖や怒りが何らかの形で表に出ちゃえば、立場を失いまくり。
 …ってことになりますw

 何となくつかめてきてくださってるといいのですが。

アリス アリス のコメント ◆◇◆ 2007/08/07 11:12 [ 編集 ] #mQop/nM.

上手く説明できるかな・・・

えっとね、以前の【自閉とは何か〜休憩〜】で、ドードーとらさんが「俺の意見や主張はない」って内容を書かれたでしょ?

実は、あのことが理解できなくてね、ずっとひっかかっていたんだ。

どうしても、はかせや画伯にかぶせてしまうから、「じゃあ、この子達にも意見や主張はないのか?」ってね。でも、どう考えてもあるように思えてしまう。

はかせに聞くと、「俺はちゃんとある。」って言うしね。

で、個人差なのか、それとも、今までにも何度かあるんだけど、言葉の使い方っていうのかな・・・。私が日常語を使っていて、正しくないのかな・・って考えていて・・・。
それで、モアイに聞いたりしてね。彼は一般人のモニターなので。(私は、中途半端なところにいるから・・・)

でも、読み返せば、「意見もない」って書かれていたから、二つの違いは、今は全く関係ないことになってしまったんだけどね。

そう。だからね、ドードーとらさんの話って内容は理解できるんだけど、でも、過去のやりとりを通して、意見や主張として受け止める内容って多いから、「???」ってなって、何をどう聞いたらいいかわからない状況だったんですよ。

それで、今回のこの記事の後半部分を読んで、「これって、意見や主張じゃないのかな?」って思ったので、聞いたんですよね。

ぴったりした質問内容が思い浮かばず、放置していたときに、質問しやすいお話があったので、チャンスだと思って聞いたのですよ。



<「誰でもこう思うはずだ」って思念が浮かびまくり。でも俺以外のやつは全員特別に何も思ってないみたいだっていうんで、混乱しまくり。言ったらバカだと思われるんじゃないか、立場を失うんじゃないかって恐怖にはかられまくり。どうしていいかわからず怒りまくり。やむにやまれず思念や混乱や恐怖や怒りが何らかの形で表に出ちゃえば、立場を失いまくり。

これについてですが、「誰でもこう思うはずだ」に、「私はそうじゃないよ」と建前でなく本心で話すと、その意見は、ドードーとらさんにとって受け入れられるものなのですか?
定型でも、人や内容によりますが、同じでないと気に入らない人、人は人って受け入れている人がいますよね。
どうなのかなって知りたくて聞いてみました。


ドードーとら ドードーとら のコメント ◆◇◆ 2007/08/07 13:08 [ 編集 ] #p/8E93UU

> 「これって、意見や主張じゃないのかな?」

 繰り返しになるけど、「俺の」のほうに謎があるので、そういう問い方をしたら絶対に答えが出ません。「意見」や「主張」ってワードにはこだわらないでください。
 焦ったら余計にわからないと思いますよ。ひっかかった感覚を大事に持ち続けてるとあるときはっとわかるって類の話ですから。

 クソ真面目に字面を読んでるだけじゃあ当然ダメで、ユーモアが必要なのね。
 「俺の意見」なんてない、だなんて、当たり前だけどジョークですよ。でもジョークだと言われると、今度はジョークとは思い切れなくなる。そういう微妙なところの真実。

> とか言って、もう一度混ぜこぜにしてしまおうとする俺って文化的…みたいなw

 って書いたのも、最初からそこに落とそうとして書いてたわけじゃないのです。
 ただ単に定義と論理に徹して話を展開していったら、最後にはっと気づいた。あら、俺がたった今書いてる中身が、「もう一度混ぜこぜにしてしまおうとする」モードを持っているじゃないかって。論理を展開しただけなのに。あらあら。
 だから、これもジョークなの。「なぁんだジョークか」っつって、次の瞬間には「あれ? 本当にジョークかな?」って思えてしまうようなジョーク。その次の瞬間には、ひょっとしたら自分っていう存在そのものがジョークなのかもしれないって気さえするジョーク。

> これについてですが、「誰でもこう思うはずだ」に、「私はそうじゃないよ」と建前でなく本心で話すと、その意見は、ドードーとらさんにとって受け入れられるものなのですか?
> 定型でも、人や内容によりますが、同じでないと気に入らない人、人は人って受け入れている人がいますよね。
> どうなのかなって知りたくて聞いてみました。

 うーん。どうしてそういう質問になるのか、よくわかんないです。言われてみれば確かにその部分だけ読めば、そういう質問も出てくるでしょうが…。
 なんつーか、俺は今相対的なるものの話をしてないんです。絶対的なるもの、普遍的なるものの話をしているのです。

 ですから、もし質問に答えるとするならば、こうなります。
 本心で「私はそうじゃないよ」と言われたら、「マジ? あんた、何か人として大事なものがぶっ壊れてんじゃない? 」とまずは思います。で、「ぶっ壊れてんだったらしょうがないな」ということで、そのようにお付き合いする。または「ぶっ壊れすぎててダメだこりゃ」とお別れする。
 で、俺はほとんど誰に対してもそうなので、ぶっ壊れてるのは俺だと診断されたわけですw

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