はかせは高校2年生になりました。
毎年新しいクラスは、成績で編成されるのですが、はかせは授業中に静かなクラスがいいと頑張っていて、ワンランク上のクラスになりました。
これは本当によかったらしく、「めっちゃ静かで天国や〜。」と言っています。
でも、悩みも出てきました。
高校入学時は、「アスペルガーです。」と入学した初めての生徒だったため、学校側はおっかなびっくりでこちらがお願いした以上に、クラスにははかせをよく知る同じ中学出身の生徒を4名一緒にしてくださるなど、色々配慮してくださいました。
ところが、1年間何も問題がなかったことで安心されたのか、今度は全く配慮がなされませんでした。
(と私は感じています。)
担任は習ったこともない初めての先生、クラスには顔を知っている人が一人しかいなくて、しかもその一人ははかせが嫌っている同じ部活の男の子でした。
おまけに昨年の担任は教科ですら習うことがなく、ほとんどの教科の先生についてゼロからのスタートとなってしまいました。
一応、個別に担任が話をする時間を作ってくださったようなのですが、30歳で大人しい感じの男の先生だそうで、そのことはいいのですが、「大丈夫かな〜。頼れるのかな〜。」といまひとつ信用できない様子でした。
4月当初は「脱ネガティブ宣言」もあり、頑張っていました。
ところが、どうもクラスメイトのかかわりが、苦痛らしく、いじめなのか友好的なからかいなのかも判断がつかず悩んでいます。
そうこうするうちに、とうとう、「俺、脱ネガティブ宣言は撤回するわ。」と言い出しました。
そして、毎日堅い表情ででかけていきます。「勉強がわからなくなるから休みたくない。」と言いながら。
部活だけが救いのようですが、新しい顧問の先生が一人増えて、厳しいそうで安心して過ごせるということでもなさそうです。
当分、彼の悩みは続きそうです。
タグ : アスペルガー症候群 発達障害
なんだかなぁ…。
だからこそ、いきなりはしごを全部はずすなんてことを平気でやるんでしょう。「(ある種の政治力学上)あまり長い間特別扱いしておくこともできないし、1年見て問題がなかったからもう大丈夫だろう」みたいな感覚で。
はしごをはずされたほうはたまりませんよね。せっかく適応したところなのに。はしごがあるからと安心して、はしごがあることを前提に。
これなんですよ。「自閉症者は存在しない」ってのは。
でも人は一般に「存在しないものは実在もしない」と思っています。「存在しないが実在している」者はいつも、「存在しないものは実在もしない」と思っている人たちの手によって、「どういう存在かを自分に都合のいいように決めつけてよい存在」として扱われてしまうんですね。
はかせ君も、ここから先は忍耐を続ければ続けるだけ「やっぱり問題ないじゃないか」と見られるわけです。そうじゃないんだ、という言葉なんて届きやしない。画伯君も中学校に入ってからしばらく、そうだったんですよね。
今のままなら後はもう、卒業か暴れるか倒れるかのどれが最初に来るかってだけなんでね。ごまかしごまかし卒業までこぎつければ大成功ではないでしょうか。
とりあえず学校は卒業があるんで、それが救いと言えば救いです。
うん、そういうことになりますね。
画伯はね、行動援護をきられそうになりましたよ。包丁騒動のおかげで更新できましたが・・・。
めがねや車椅子を取り上げるという発想はないのに、配慮だけは簡単に取り上げるという発想に結びつくようです。見えにくい障害と言われる所以ですね。存在しない・・・。そういうふうにつながっていくのですね。
しかし、はかせ君への配慮を続けるとなると、成績別クラス編成の方針とぶつかったりもしかねないわけでしょ? つまりその学校は、はかせ君みたいな生徒も実在する、という前提では動いてないんです。
じゃあそれが悪いかというと、悪いとも言い切れなくて。はかせ君みたいな生徒も実在する、と前提しちゃったら、進学校なんて運営してられませんから。
はかせは大学で歴史の勉強をしたくて、大学に進学するには、はかせの高校は指導が充実している。
けれども、はかせが安心して通うための配慮をお願いしようとすると、進学校ゆえの問題点が立ちふさがってしまう・・・。
義務教育でも様々な問題がでてきていますが、義務教育以降はまだまだ課題が山積みですね。
たとえ先生方がわかってくれてたって、他の生徒や保護者から指摘されたときに一体どう説明するんですか、みたいな。同様に、たとえ社長や上司がわかってくれてたって、ですしね。
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