話の流れと全然関係ないが、ふと思いついたので。
検索してみたら、まだこの話ってここのブログでしたことなかったんだね。意外。
★
俺が思うに、サリーとアンの問題は、まず問題自体に欠陥があるし、実験結果の解釈のしかたにも気をつけなければならないことがある。
<参考>
http://www2u.biglobe.ne.jp/~pengin-c/ishiura.htm http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%83%E3%81%AE%E7%90%86%E8%AB%96 ★
今さらかと思うが、サリーとアンの問題を一応説明。
まず、以下の5枚のカードを順に見せる。
1.サリーとアンが、部屋で一緒に遊んでいました。
2.サリーはボールをかごの中に入れました。
3.サリーは部屋を出て行きました。
4.サリーがいない間に、アンがボールを別の箱の中に移しました。
5.サリーが部屋に戻ってきました。
その後に被験者にこう質問する。
部屋に戻ってきたサリーは、ボールを取り出そうと思いました。最初にどこを探すでしょう?
健常な子供なら、かごの中、と答える。
自閉症児の場合は9歳くらいになっても、箱の中、と答えてしまう子供が80%以上いるのだそうだ。
★
実験結果の解釈のしかたの話から行こう。
箱の中、と答えることをもって、「
自閉症者には心の理論がないんじゃないか?」とかいうことが疑われている。
心の理論とは、他者の心の動きを類推したり、他者が自分とは違う信念を持っているということを理解したりする機能のことであるそうだ。
なるほど。まあ、そうかもしれない。それはそれでよいとしよう。「
自閉症者には心の理論がない」と言い切ってしまうのは、絶対に間違ってるけどね。
ちょっと考えてみよう。不思議じゃないか?
心の理論がないんじゃないかと疑わしい人が出した答えを、「この人は本気でそう思って答えているのだ」として受け取ってよいものか。
ま、「
自閉症者には心の理論がない」と言い切ってしまう人は、心の理論があるというあなた自分自身のことを、一度しっかり分析してみたらいいと思うよ。
★
では次に、問題自体の欠陥。
何を隠そうこの俺も、このサリーとアンの問題には、本気で答えようと思えば答えられない。
というか、答えられないと答えるのが本当は正解なんだ。意味わかる?
例えば、サリーとアンはどのくらい知り合った仲なのか、気になるよね。
もし仮に、アンがとてもいたずら好きの子で、ものを隠したりってことをよくやっているとする。また、そのことをサリーが知っているとする。
ほら、もう誰にも答えられないw
サリーとアンの問題は、示されていない条件によって正解が変わってしまう欠陥品。
入学試験が行われる時期に「全員正解扱いになりました」とかいってよくニュースになるじゃん。ああいう種類の問題なんだ。
それでもあえて正解を書こうと思えば、答えられないと答えるしかない。
また、どうせ何を答えてもいいならば(あるいは「答えられない」以外の答えを要求されたならば)、面白い答えを書く手もある。かごの中と箱の中だったら、より面白いのは箱の中かもね。(絵にはない)棚の中、とか答えてみるのも面白い。
ね。なーんでもいいわけ。なーんでも間違ってない。
なのに、かごの中が正解だ、と本気で思ってしまう人がいる。いるどころか、そういう人が普通であって世の中のほとんどだ。このことのほうがずっと不思議じゃないですか。
中には、これに答えられない人に対して「心の理論がない」などと言い切ってしまう人までいる。もっともっと不思議だ。
★
では、サリーとアンの問題を改良できるだろうか。試してみよう。
1.サリーが、部屋で一人で遊んでいました。
2.サリーはボールをかごの中に入れました。
3.サリーは部屋を出て行きました。
4.サリーがいない間に、アンが入ってきました。
5.アンはボールを別の箱の中に移しました。
6.アンは部屋を出て行きました。
7.サリーが部屋に戻ってきました。
では問題。部屋に戻ってきたサリーは、ボールを取り出そうと思いました。最初にどこを探すでしょう?
どうだろう。これならば、サリーがアンについてどれくらい知っているか、みたいなことを考えに入れる必要がない。
でも、ダメだね。サリーとアンが同一人物でないことが、示されなくなっちゃうもの。アンだと思ったその人は、実はサリーが変装した姿かもしれない。
また、部屋の外でサリーとアンが会っていて、サリーがアンにボールのありかを教えたり、ボールをかごから箱に移すよう頼んだりした可能性だって否定できない。これが否定できないと、サリーがアンについてどれくらい知っているかをもう一度考えに入れなくてはならなくなるね。
くそっ。何としても答えがあるように問題を作ってみようじゃないか。
改良後の問題をさらに以下のように改良する。
右半分はサリーで左半分はアン、というように画面を2分割。これで、2人が別人物であることも、今扱っている時間帯には接触もしていないことも示せる。2人が知り合いかどうかは関係ない。
どうだ!
これだと今度は問題にならなくなっちゃったね。やっとまともに答えられるようになったけど、答えが一つしかないもの。
答えが一つしかない、と言っても、とりあえず今まで考慮してきた問題点がクリアできたというだけで、実はまだ他にもあるかもしれないし。絵にしたときに生じるかもしれないし。それはわからないけどね。
★
ああん。やっぱりサリーとアンの問題は、「どうして普通一般の人はかごの中が正解だと答えてしまうのか」について語る題材にしかなりえないよ。
うーん。
純粋な意味では、この問題について何と答えたからといって「この人には心の理論がないんじゃないか」とか疑うことすら不可能だ。
とは言え、(サリーとの関係ではなく)出題者・採点者・試験監督者との関係に着目するならば、また違った話になるよね。
そこには判定する側と判定される側という権力構造がある。その権力構造と無意識のうちに同調しようとするかしないか。
無論、無意識のうちに同調しようとする人のほうが、かごの中という“(偽の)正解”を答える率が高く、また、そう答えることに何の疑問も抱かない人の率も高かろう。
…みたいな話に持っていくと、
カナー型から
アスペルガー型まで、
自閉症を全部ぶっ通せるんじゃないかと思ったりするんだけどね。
お、冒頭に「話の流れと全然関係ない」と書いたけど、これは今中途半端になっているチャットのシリーズ(の今後公開予定の部分)と深く関連している話だったんじゃないか。ふむふむ。
最後に一応。
文中で、サリーとアンの問題は欠陥品だと書いた。しかし、「だからダメだ」と言ってるかというと、そういうことではない。
俺がここに書いたことの主旨は「欠陥品であるからこそ、一つの目安になりうる」ということだからね。きちんと評価してるつもりだ。この問題を欠陥品でないと思ったり、「サリーの心を読めない=心の理論のなさ」と思ったりしている人たちよりはね。
タグ : 発達障害 アスペルガー症候群 自閉症 アスペルガー 自閉 高機能自閉症 カナー
1度目は小学1年生のとき。そのときは心理学を勉強している学生さんが、家庭教師に来てくださっていて、はかせと二人だけのときに、ポッキーの空箱にボールペンを入れて、「お母さんに中身を聞いたらなんて答えると思う?」と聞いて、はかせが「ボールペン」って答えました。
でね、何も知らない私は、聞きにきた二人に「ポッキーじゃないんやろ?」と答えてしまい、学生さんを苦笑させたことがあります。
2度目は小学4年生のとき。今度は教育学部の学生さんが、何度か、はかせともう一人高機能自閉症の男の子(同じ年)の3人で遊んでくださっていたことがあって、ある日、ビデオを二人に見せてくださって、その学生さんと彼のお友達が部屋にいて、友達が部屋から出て行ってるうちに学生さんが机の引き出しから、ザブトンの下にたばこを移動させて、「あのお兄ちゃんが戻ってきて、たばこを吸いたくなるんだけど、どこを探すと思う?」と聞かれて二人とも「机の引き出し」と答えました。
そのあと、続きの映像を見せ、「僕がかくしたことを知らないから、最初の場所を探したんだよ」と説明し、別バージョンのビデオ(物か場所の違う)を見せたらもう一人のお友達は同じような回答をしたのに、はかせはその後は、正解と言われる回答をしたんです。
当時、ADHDと診断されていたはかせなので、学生さんから「だから、はかせ君はADHDなんですよ。」と説明されたことがあります。
その1年後に彼は荒れだして、アスペルガー症候群と診断されたわけですが、そういうことがあったので、私はあのテストは他者と自分の区別というか、一つの関係性についての認知が広がったかどうかといったことを確認するためのものではないかと思っています。
心の理論って聞いたことはありますし、なんとなくわかったような感じがしますが、ドードーとらさんのおっしゃるように、正解が一つというのは無理がありますよね。学校の試験と一緒です。
まず、どう答えたら正解かという仕組みから教える必要があるでしょう。
俺の子供の頃ってどうだったのかな…。いたずらは昔も今も変わらず好きですがw
しかし、どうして「箱の中」「ボールペン」「机の引き出し」と答えてしまうかは俺にもわかりません。俺にわかるのは、それらが全部、示されている条件だけでは本当は答えられない問いであることだけです。
はかせ君の1個目のシチュエーションで、本当にポッキーが入ってたら、アリスさんは裏を書かれたことになるわけですし。
2個目のシチュエーションだって、違和感ありまくり。わざわざビデオまで持ち出してくるくらいなんだから、学生さんと彼のお友達が事前に打ち合わせをしていると考えたっておかしくない。
騙すというのは、そう簡単に語れるものではありませんねw
再びビデオを見せられて、はかせ君が“正解”を答えたのはきっと、「あ、これは自分が正解だと思った答えを言えということじゃなくて、この人が正解だと思う答えをなぞるゲームなのね」と理解したからでしょう。とりあえずその場では。
そういや、服巻って人のシリーズを書いたときにも、そんなことを書きましたっけね。
まあ、なぞることを覚えとくのも悪いことではありませんが。
★
それにしても、どうして「答えられない」じゃなくて、「箱の中」「ボールペン」「机の引き出し」と答えてしまうんだろう…。
あ。今、一つインスピレーションが。
ボールやたばこをどこから探し始めるかは答えられないんだけど、もし本当にボールやたばこを探しているならば、それがある場所を探すまで探し続けるのは確定している。
ポッキーの空箱にボールペンってのも、言い当てるまでやめずに繰り返すならばいつか必ず「ボールペン」とは答えることになる。それまでの間、他に何と答えるか、また、何と答えないかは、実際にやってみないとわからない。
もしこういうことだとしたならば、何かわかる気がするというか。
今の俺にもそういう面は多分にありますからね。結局のところ大事なのは確定情報だけだろう、という感じの。
そのときすぐに、「どうしてそう思う?」って聞けば答えたのかな?
普通の人が直感的に「かごの中」と答えるのと同様、自閉症者もあくまでも直感的に、「箱の中」とか「あ、これは答えられない」とか答えるわけですから。自他の直感の働き方とその違いについて、ある程度分析が進んでないと、どうしてそう思うかはきっと答えられません。
で、どうしてそう思うか答えられるくらいまで分析が進んでたとしたら、大抵は「かごの中」と答えちゃうんじゃないですかね。何となく。
でね、彼は、「その回答は、今の俺からは考えられない。なんでかな〜。嘘をついたらいけないって思ったからかな〜。」と言ってました。
ただ、「今ならなんて答える?」と聞くと、やはり、「ポッキー」でしたけどね。
これは、日本の教育方針がそうさせているのかもしれませんね。
でも、サリーとアンの問題は外国で開発されたんですよね。
考えれば考えるほど不思議ですね。
…ですよねぇ。
嘘をついたらいけないっていうのは、もし自分がサリーとアンの部屋に居合わせたならば、サリーが戻ってきたときに「ボールは箱の中だよ」と言っちゃう、みたいな話なんでしょうか。
私は、はかせが自分は正解を知っているのに嘘はつけないって受け取ったんだけど。
この正解は、出題者の問いへの“正解”でなしに、ボールの本当のありかのことですけどね。
それって今俺がこのブログをやってる動機そのものですよ。
もちろん、害のない嘘もあれば、嘘も方便ということもある。ま、アスペルガーの人だって当然、ある程度の年になるまでに、そういうことは一通り学習しているわけですけど。
それにしてもこの嘘は有害だしほっとけないだろ、みたいな。
おお。なんかつながってきたかも。
そうです。つながってきましたか?
コメントの投稿